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あらすじ
土下座で始まる甘~い結婚生活
会社の先輩・横山修一から、「結婚してくれ!」と土下座された梨紗。ある事情から婚約者のフリをしてほしいという。過去の出来事が原因で、男性不信気味の梨紗だったが、修一の誠実な優しさに惹かれ、本当に結婚することに!「こんなに濡らして──触ってほしかった?」 新婚初夜、初めて彼を受け入れ、身も心も結ばれたが、この結婚には裏があって……!?
(ヴァニラ文庫ミエル)
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試し読み
最初の土下座には驚いたし、強引に会うことを約束させられたけれど、その後は、非常に楽しい席だったと思う。
――どうしよう、変じゃないかな。
クリーム色のトップスに、フレアースカート。こんな感じでいいのだろうか。わからなくて、梨紗は鏡の前をうろうろとした。
手元にあった雑誌には、似たようなコーディネートがおすすめデート服として掲載されていたけれど、それを鵜呑みにするのって、本当は間違いなのではないだろうか。
――パーティーに行くなら、もっと楽なのに!
出かける先が、祖父の関係先なら話は楽だ。母がその場に適した服もアクセサリーも選んでくれるし、髪もメイクも家まで来てくれるプロにすべてをまかせればすむ。
今日はさすがにそんなわけにもいかなくて、手持ちの服の中から選び出すのが大変だった。
家まで迎えに来るというのを断って、会社から少し離れた駅での待ち合わせにしてもらったから、そろそろ出かけないと間に合わない。
母親には、「友人と会う」と言っておいて家を出る。電車に乗って待ち合わせ場所に向かう間も心臓はどきどきしていた。
何度も使っている路線なのに、周囲の景色がいつもとは別のようなものに見えてくる。その間も不安は梨紗の胸を離れなかった。
あともう少しで待ち合わせの場所につく。けれど、行ってみて自分一人しかいなかったらどうしようと思えてくる。
――だって、からかわれていただけかもしれないし。
最寄り駅につき、改札を出ると、その先にいるはずの横山の姿を探す。
――いない。
やっぱりからかわれていただけなのかもしれない。それでも――ともう一度見回すと、彼が手を上げて合図しているのに気がついた。
白いシャツにジーンズという何気ない服装なのに、周囲を通りがかる女性がちらちらと彼の方に目をやっているのがわかる。
笑顔で手を降る梨紗の鼓動が跳ね上がった。
「時間ぴったり」
「あ、ハイ……」
小走りに彼の方に近づくと、彼は梨紗に笑みを向けた。いつもはスーツを着ている彼の私服を見るのは初めてだ。職場で見かける時とは印象が違って、急激に彼の存在が大きさを増したみたいだ。
デートらしいデートも始まっていないというのに、耳がじんわりとしてきたのがわかる。
気のきいたことのひとつや二つ言えればいいのに、それもまた封じ込められてしまったみたいだった。
「じゃあ行こうか」
にこりとした彼が、いきなり梨紗の手を掴んで歩き始める。不意に手を握られたことに、ますます胸がどきどきし始めた。
「待って、あの、ど、どこに……行くんですか……?」
手を握られたことなんてあるはずもなくて、自分の手のひらが急激に汗ばんできたみたいだ。振り払うのも違うだろうし、居心地が悪くてしかたない。
「それから、今日はデートだから敬語禁止。俺のことも名前で呼ぶように」
ちらりと梨紗に目をやった彼の目が、楽しそうな光を放つ。
「な、何言ってるんですか? いきなり、なんで――横山さん!」
梨紗が声を上げると、彼は足を止め、身体全体でくるりと振り返った。そして、じぃっと梨紗の目を正面から見つめてくる。
「俺、今なんて言ったっけ?」
たじろいだ梨紗は口を閉じた。彼が何を考えているのか、さっぱりわからない――。
「りーさ?」
不意に呼び捨てにされて、梨紗は頭が一気に熱くなるのを感じた。
こんな風に自分の名前が甘く響いたことなんて今まで一度もなくて、頭がふわふわとしてくる。
なぜ、この人はいきなり梨紗の名前を呼び捨てにしてるのだろう。そんな疑問を口に乗せる間もなかった。
「敬語禁止、俺のことは修一って呼ぶようにって言ったんだけど」
「む、無理です!」
慌てて繋いだ手を離そうとするけれど、彼の方が一枚上手だった。梨紗の手を掴んだまま、再びすたすたと歩き始める。
「だって、横山さんって呼ばれると仕事してる気になるだろ? 今日はせっかく梨紗とデートなのに」
「だからって、横山さん!」
「呼び捨てにしなくてもいいけどさ。修一君とか、修一ちゃんとか――あ、修一君って呼ばれるのけっこういいかも」
けらけらと笑いながら、彼は歩き続けるけれど、梨紗の頭の中は真っ白だった。
「横――」
「下の名前で呼ばないと、返事しない」
「横山さん!」
重ねて名前を呼ぶけれど、彼は自分の宣言通りに、返事をしようとはしなかった。
「――し、修一さんっ!」
「……修一さん? まあ、いいか。それで妥協するよ――梨紗にそう呼ばれるのなら、悪くないかも」
――この人、人の言うこと全然聞いてない!
よく考えたら、昨夜も当たり前のように丸め込まれていた。彼に梨紗がかなうはずなんて、ないのかもしれない。
「ど、どこに行くんです――行くの」
敬語を使いかけたけど、振り返った修一が眉を上げたからその場で諦めた。彼のペースにはめられている予感しかないけれど、対抗できる相手でもない。
「まずは映画」
「……映画? でもっ」
「ほら、俺、梨紗のことよく知らないしさ、何をしたら楽しんでもらえるかよくわからないから、とりあえず共通の話題を作ろうと思って」
周囲にはたくさんの人がいるはずなのに、周囲の喧噪さえ耳に入ってこない。こんな風にこの人と歩くことがあるとは思ってもいなかった。
「共通の話題……?」
「そう、たとえばさ、今からそのへんのカフェに入って俺と二時間会話できる?」
昨日は、彼の勢いにのまれてしまってなんとかなったけれど、今この状況で二時間会話をするとなったらすごく困ってしまう。
「……それは、無理かも」
「だろ? だから、まずは映画でちょうどいいんだ。梨紗は、どんなのが好き?」
言われて梨紗は考え込む。映画館で映画を見ること自体ほどんどない。
今、何が上映されているのかもあまり気にしたこととはなかった。
「あまり映画館って行かないかも。DVDを家で見るなら、恋愛物……が多いかな」
「恋愛物かー、俺、それは苦手。アクションとか派手なやつの方がいい」
「映画館で見ると、迫力ありそう」
「そうそう、自宅でDVD見るのとじゃ音からして全然違うだろ」
――ちゃんと会話になってる。
そのことにまずは安堵する。昨日の今日で、彼ときちんと会話ができるとは思ってもいなかった。
――他の人にも、こんな風にするのかな。
横山――修一――の手と比べると、梨紗のそれはずいぶん小さく見える。異性と手を繋ぐなんて初めてだし、どきどきしてしかたない。
「さて、梨紗の見たい映画を上映してなかったら、どうしようかな」
なんて口にするけれど、そんな心配は彼には無縁のもののように梨紗には思えた。 -
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