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あらすじ
そんな顔をするのは私の前でだけにしなさい
堅物検事の理性が崩壊寸前!?「それなら同棲でもしてみますか?」不眠症に悩む麗は運命の人を見つけてしまった。那智とくっついていれば眠れるのだ。そう告げると検事でモテすぎな彼が一緒に暮らしてくれることに!? 那智は麗を眠らせるために一緒にベッドに入るけど、甘く抱きこまれて身体を寄せ合えばトロトロにされてしまって。だけど、そのことが過干渉な両親にバレて!?
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キャラクター紹介
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春野 麗(はるの うらら)
ややブラックな企業に勤務。心配事が重なって不眠症のおりに那智と出会い!? -
久我那智(くが なち)
エリート検事。優しそうに見えてクールで毒舌。なぜか麗を放っておけなくて!?
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試し読み
「就職も、父に命じられた会社に入りました。毎日打ちこみをしているだけで、スキルを高めるなんて一切できない仕事ですけど、いいことがひとつあったんです。会社は実家から遠いのでひとり暮らしが許されたんです。ただ、アパートを選んだのは母だし、家賃も親が払っていて、勝手に母が出入りしているし、……ときどき、郵便物もなくなります」
希美の結婚式の件が頭をよぎり、にわかに涙が浮かんだ。悔しい。悲しい。すごくつらい。仲よしだった大切な友人。その結婚式に出席できなかったばかりか、おめでとうのひとことも言えていなかったのだ。
ここで泣いたら話が途切れてしまう。麗は手の甲で涙を拭い、喉を潤そうとカップに口をつける。すると、頭にポンっと那智の手がのった。
「郵便物に関してはプライバシーの侵害だ。親子間でも法的措置がとれる。その気になったらいつでも言いなさい。私の弟は優秀な弁護士だ、紹介しよう」
せっかく拭った涙がまた浮かぶ。兄が検事で弟が弁護士だなんて、すごい兄弟だと心強さが増す。
「ありがとうございます。……でも、今はまだそこまで考えてはいないので……」
それなのに麗から出た言葉は消極的なものだった。
防御本能が動いたのだ。
――親に馴らされた、従属癖。〝いい子の麗ちゃん〟が顔を出す。
那智は特になにも言わずに麗の頭から手を離す。ひとまず親との関係性は話せた。途中で那智が質問や見解を入れてくれたので話しやすかった。
こうして話しやすくわかりやすくリードできるのも、彼の職業柄なのだろうか。
「ただ、いつ気まぐれに『ひとり暮らし終了』と言われて実家に戻されるかわからない。その前に……結婚してしまえばいいんじゃないかって考えまして……」
「それで私に声をかけたんですか?」
「それが……実は、去年、マッチングアプリで……」
「手軽な手段に出て、詐欺に引っかかってお金でも騙し取られましたか?」
言葉が止まった。
察しがよすぎる……。
「もしかして借金でも背負わされて、それゆえの毎日終電残業三昧なのでは?」
「はい……」
「それもおそらく、自分が頑張れば返せるくらいの額、だったのではありませんか?」
「どうして……わかるんですか……」
「結構あるんですよ。そういった詐欺で送検されるケチな輩が。女性に借金を負わせるわけですが、それほど大きな金額ではない。頑張って働けば返せる額、または結婚資金を貯めこんでいる女性なら払えてしまえそうな額、そこが狙われるんです。騙されても、警察沙汰にするのが面倒くさいとか手続きが大変とか、弁護士に相談するのはハードルが高いとか、恥ずかしくて他人に知られたくない、とか。自己解決してしまって表ざたにならないものも多い。怪しげな出会い系アプリで結婚相手を見つけようなんて、リスクを考えなかったのですか?」
「……すみません」
こんなにも言いあてられてしまうなんて。それだけよくあることなのだろうか。
「春野さんの場合は、親に知られたくなかった、というところでしょう。騙されたなんて知られたら、ひとり暮らしは終了、おびえながら実家で暮らす生活が待っている。そんなのはいやだ。だから、不安が重なって不眠症になろうと、休む間もなく働いて毎日終電になろうと、現状維持でなんとか騙されたぶんを返していくしかなかった」
「すごい、ですね……。どうしてそんなにわかっちゃうんだろう」
麗が説明する必要がないくらいお見通しだ。すると、那智が顔を覗きこんできた。――まぶたをゆるめた、綺麗な顔で……。
「わかりますよ。私は、運命の人なんでしょう?」
鼓動がとんでもなく大きく跳ね上がる。もはや胸が痛い。いやそれよりもこんな顔で「運命の人」を使われると、ときめきすぎて心臓がおかしくなりそうだ。
「……というか、仕事柄察しのつきやすい流れです。騙されたことを表ざたにしたくない人は多いですから。女性ならなおさらですよ。マッチングアプリでカモられたなんて、自分は浅はかな人間ですと言っているようなものだ。ん? どうしました、春野さん。顔が真っ赤ですよ」
「なんでもないですっ」
顔が真っ赤になってしまった理由さえも、おそらく那智はわかっている。クスクス笑っているのがその証拠だ。麗は自分の状態をごまかすようにカップのコーヒーをあおる。
(久我さんって、もしかしてちょっと意地悪な人なんじゃないだろうかっ。たまーに言動がおかしいときがあるし)
カップを一気にカラにして、深く息を吐きながら言葉を出した。
「からかわれて恥ずかしいですけど……それでも、久我さんを運命の人だって言ったのは本気です。なにより、そばにいると安心できるのが証拠だと思うんです。もう絶対に、久我さんのような人には出会えない。そう思うから、わたし……」
「助けてくれそうな人だと本能的に悟ったから、安心感が生まれた。という可能性はありませんか?」
言葉を止めて那智を見つめる。
――助けてくれそうな人だから……。
那智は検事だ。職業を知らなかったとしても、誠実な雰囲気はにじみ出ている。麗の救済を求める切実な本能が、それをかぎ取ったという可能性はないか。
この人なら、助けてくれるかもしれない。この状態から救い出してくれるかもしれない。
そんな希望が、安心感に変わっただけなのでは。
「違います……」
勘違いかもしれない。そんな可能性も考えるが、麗はやはり自分の直感を信じたい。
「ただ助けてもらえるかもしれないっていう気持ちだけで、あんなにホッとしない……。久我さんに寄り添っていると、不安が消えるんです。だから眠れる。プロポーズも本気です。……追い詰められて、結婚すれば親から離れられるなんて単純に考えてしまったけれど、そんなものは抜きにしても……久我さんと、一緒にいたいと思うんです。こんな気持ちになったこと、ありません」
どうすれば本気だと信じてくれるだろう。どう言えば真剣だと伝わるだろう。
思案する麗の手からカップが取られる。自分のものと一緒にローテーブルに置いた那智が、膝の上に置いていた両手を握ってきた。
「わかりました。それなら、少しおつきあいしてみましょうか」
「おつきあい……?」
「春野さんのその気持ちが、本当に本物なのか。ただ助けがほしい一心で、運命の人と信じこんでしまったのではないのか。逆プロポーズが、逃げの手段として口から出たものではないのか。しばらくおつきあいしてみたら、その真意がわかるのではないでしょうか」
「おつきあいって、あれですか……。彼氏彼女っていう……」
「そうですね。この年で彼氏彼女というのも幼い表現ですので、恋人同士ということで」
「こいっ……」
ボッと、瞬間的に顔が熱くなる。恋人同士。彼氏彼女という関係さえ自分には縁遠いものだと思っていたのに、恋人同士、なんて信じられない。
頰が熱い。きっと真っ赤になっている。両手でかくしてしまいたいが、那智に両手を握られているせいでそれができない。おまけに麗を見つめてさらに強く握ってきたので、耳まで熱くなってきた。
「いいですね。恋人同士で」
「は、はぃ……、ぃぃ、です……」
戸惑うあまりおかしなトーンになってしまう。クスッと笑われた気がして目を向けると、微笑ましげに見つめられていて、またその表情が綺麗で、思考が右往左往する。
「ああ、そうだ。私とくっついていなくては眠れないのでしたか。大切な恋人を不眠症にしておくわけにはいきませんから、いっそしばらく私のマンションで一緒に寝ますか? せめて不眠症が治るまで、同棲するという手がありますが」
「それは……、ぜひ!」
那智の提案に、俄然張りきる。彼氏彼女だとか恋人同士だとか、言葉にうろたえていた気持ちも吹き飛び、彼と一緒にいられるという希望だけが大きくなる。
「……女性としての警戒心はないんですか」
「はい?」
「いいえ、気にしないでください。即答だったので、ちょっと驚いただけです」
「どうしてですか? 一緒にいられるなんて、メリットしかないです」
「恋人同士として、ですよ? わかっていますか?」
「はい、それは……」
……とはいうものの、彼がなにを確認したいのかがわかってきたような気がして、返事が怪しくなる。が、立ち止まりかける麗の気持ちを、那智は強制的に自分のほうへ引っ張りこんだ。
手が離され、代わりに両肩を押され……ソファに押し倒された。
「では、恋人として扱います」
言い終わるが早いか、――那智の唇が重なった。
重なっただけですぐに離れる。しかし突然訪れた初めての体験に、麗は目を見開いてキョトンとしてしまった。
「よろしく、麗」
「は、はいっ」
おまけにいきなりの呼び捨て。うろたえていますと言わんばかりに声が裏返る。
キスをされて呼び捨てにされて。これが、恋人として扱うということなのだろうか。
(でも、久我さんだから……)
ドキドキする。いやだという気持ちはみじんもなく、これから彼といい関係を築いていきたいという希望だけが大きくなっていく。
麗の希望は叶ったことがない。
ずっとそう思っていた。けれど、那智に再会することができたし、話を聞いてもらえたし、彼のそばにいることができる立場をもらった。
――大丈夫。きっと、大丈夫。
そう思えるのが、心強い。
唇に那智の指があてられる。鼓動を加速させて彼を見ると、ふわりと微笑まれた。
「まず、恋人同士としてのおつきあいですから、プロポーズの件は保留ですよ。いいですね?」
小さく首を縦に振る。返事をしようにも彼の指が唇にあるせいで声を出せない。
那智を見つめて、麗の胸は未知の希望に揺れる。
――変われるかもしれない。今までの自分が……。 -
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