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試し読み
「わたし……、まともに恋とかしたことなくて……。でも、一応そういうものに憧れていたりもして……。それなのに、……いきなり結婚って。おまけに既成事実ができてしまえばすぐに結婚する気になるとか……、むちゃくちゃですよ……」
言葉に出しているうちにネガティブなものが増長した。口にすると止まらなくなったどころか悲しさが広がって、泣き声になってしまったのだ。
やはり自分は酔っているのだ。それを理解したうえで自分を押しとどめようとするが、なかなかそれができない。
結婚を了解して会社を救ってもらったばかりなのに、今になってこんな弱音を吐いてしまうのは……ズルい気がする。
「すみません……、なんか、おかしなことを言ってしまって……」
つい出てしまった弱音を隠したくて、椿は聡志から目をそらしグラスをあおる。瞳がわずかに涙で覆われているような気がして、顔を上げたままパチパチとまばたきをして潤いを飛ばそうとした。
「それなら、いい考えがあります」
そんな言葉とともに吐息が頬にかかり、手のグラスが取られる。顔を横に向けると目と鼻の先に聡志の顔が迫っていて、椿は戸惑うまま身体を引いた。
しかしその程度の反応はなんの障害にもならない。いたって自然に聡志の唇が椿のそれに触れてきたのだ。
「私を、好きになってくれたらいい」
突然のキスに一瞬身体が固まった。椿はすぐ、反射的に彼の胸を押して身体を離そうとする。
「キスは、いつしてもいい約束ですが?」
唇の先でクスリと笑われ、押し戻そうとした手が止まった。その直後、唇がより強く押しつけられ、椿は思わずグッとまぶたを閉じる。
「ンッ……」
唇を固く結ぶが、上唇と下唇のあいだをぬるっとしたものがなぞっていったことに驚いて、その力を緩めてしまった。
「……あ」
動揺が小さな声になって漏れる。ほんの小さな隙間から、温かな舌が口腔内に滑りこんできたのだ。
「たかつ……」
その感触に驚き肩が震え、咄嗟に言葉を出そうとする。口を動かしたら聡志の舌を噛んでしまうのではないか……そんな不確かな不安が胸をよぎり、椿は口を動かせなくなってしまった。
(ど……どうしよう……)
このままジッとしていれば、そのうちやめてくれるだろうか。とはいえ、日常的なキスは許す約束をしてしまったのだから、抵抗することもできない。
動揺する気配がなくなってきたせいか、聡志は片手を椿の後頭部に回し頭の動きを固定する。カチャカチャとガラスが触れ合う音がしたあとに、もう片方の手がフェイスラインを包んだので、持っていたグラスを床にでも置いたのかもしれない。
唇の表面を擦りながら、小さく開いた隙間から侵入した舌がゆっくりと口腔内を探っていく。歯茎の表側から裏側へ。いつも舌がくつろいでいる柔らかな空間を舌先でなぞられ、身の置き場を失った舌が喉の奥で縮まった。
「ハ……ァ」
そのせいなのか息苦しい。舌のせいではなく呼吸が上手くできないせいだと気づくが、普通に鼻で息をしても口でしても、動揺のせいで呼吸が荒くなっている気がする。
それを聡志に悟られるのが恥ずかしい。興奮しているのだと勘違いされてしまったら、どうしよう。
「ちゃんと息をしないと、酸欠になりますよ?」
聡志も気になったのか、わずかに唇を離して教えてくれる。しかしそんなことを教えられてしまうのが、また恥ずかしい。
「無理なことはしないから……。ゆっくり呼吸して」
言いかたは静かだが、まるで先生に教えを受けているかのような逆らい難さがある。
いっそ今すぐやめてくれたら、呼吸は楽になるのに……。
しかし教えを施すということは、やめる気はないのだろう。
半開きになった唇の隙間から、意識をして呼吸をする。心臓の動きが速くなっているせいか、呼吸も小刻みに速くなった。
「ひっ、……ひゃっ……!」
いきなり突飛な声が出て身体が跳び上がる。フェイスラインを押さえていた聡志の手が指先から動き、椿の顎の下を撫でたのだ。
「椿さんは、心も身体も少々カタすぎるようだ。少し……ほぐして教えてあげないと駄目みたいですね」
「おっ……教えてって……、や……ちょっ、たかつかささまっ」
椿は焦って聡志のシャツを掴み、くすぐったい指から逃げようと顎を引く。しかしそれはあまり抵抗にはならず、彼の手は顎の下から首筋を撫で上げ耳をいじり始めた。
「や……やっ、耳ぃ……」
「貞淑なのは結構だが、知らなすぎるのも問題だ。もう少し、官能を拓くことを覚えたほうがいいでしょう」
「かっ、かんの……」
言われ慣れない言葉、というよりむやみに目にもしない言葉を出され、椿の動揺は大きくなる。顎を引こうが肩をすくめようが耳をもてあそぶ指は止まらない。
耳たぶをくにくにと揉まれ、耳の裏を擦られて、背筋がゾクゾクしてくる。
「ンッ……んんっ……」
痺れた部分からむず痒くなるなんて初めてだ。明らかに足や手が痺れるのとはわけが違う。
今度は指の代わりに聡志の唇が耳元に近づく。耳の輪郭をパクリと食まれ、椿は腰を跳ね上がらせた。
「ひっ……ン……」
なにかひとつ反応してしまうたびに、カアッと頬の温度が上がる。耳の内側にぬるぬるしたものが這っているのを感じると、またもやゾクゾクっとしたものが背筋を走り、ふるりと肩が震えた。
「いい反応だ。かなり優秀な素質がありますよ」 -
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