書籍紹介
完全無欠の辺境伯と身代わり花嫁の蜜甘婚~旦那さまに磨かれて愛され妻になりました~
完全無欠の辺境伯と身代わり花嫁の蜜甘婚~旦那さまに磨かれて愛され妻になりました~
ISBN:978-4-596-52748-6
ページ数:290
発売日:2023年10月2日
定価:690円+税
  • あらすじ

    意地悪な妹の代わりに嫁いだら、溺愛が待ってました
    「この世の誰よりも可愛くて綺麗だ」“醜い”令嬢が美しく!? 愛のなせる逆転劇♥

    美しいが傲慢な妹に「醜い」と虐げられ不遇な境遇で育ったマルゴットは、妹の身代わりで嫁ぐことに!? 騙され憤ったジークフリートだったが、彼女の美しい心に触れて妻溺愛の夫に変貌。甘い悦楽で愛される喜びを教えてくれた。さらに髪や肌、所作を磨き上げられ“深窓の白百合”と注目される美女に。だけどそのことが彼をヤキモキさせてしまい!?

  • キャラクター紹介
    • マルゴット
      伯爵家長女。額の痣のせいで家族に虐げられてきた。境遇に負けずピュアな性格。

    • ジークフリート
      皆の憧れの辺境伯。マルゴットの心に惹かれるが、美しく変わる妻に煽られて!?

  • 試し読み

     貴族の妻として嫁いだ以上マルゴットは放っておかれるわけがない。
     夜が更け始めた頃、再び部屋の扉がノックされ湯浴みの準備が整ったと女中が告げにきた。マルゴットは深くため息をついて支度をする。
     旅行鞄から取り出したのは一枚しか替えのないシュミューズだ。ドレスの下に着る肌着でもあるが、特別な寝間着など持っていないマルゴットはこの姿で寝る。一応新品ではあるがフリルもリボンもない素っ気ないものだ。
     女中に案内されて浴室へ行ったマルゴットは、またしてもその広さと壮麗さに驚く。
     手前が脱衣や湯浴み後に肌の手入れなどをするスペースになっており、リラックスできる寝椅子や化粧台だけでなく、バスタブに浸かりながら嗜めるワインやフルーツなども備えられていた。
     衝立で区切られた奥には水はけのいいタイルが貼られ、そこに陶器でできたバスタブが置かれている。湯に香料が入っているのか、いい香りがする湯気が立っている。
     ベーデカー家にいたときは桶に張った湯で体を拭くか、屋敷の裏でこっそり水浴びをするのが日常だったので、こんな立派な風呂は初めてだった。
     マルゴットは女中の手を借りてドレスとコルセットを脱いだ。地下で暮らしていたときは簡素なワンピースを着ていたので自分ひとりで着替えられたが、さすがにゴチャゴチャとしたドレスはひとりでは着脱できない。けれど服を脱ぐのに他人の手を借りるのは未だに慣れなかった。
    「あ、あとは自分でできますから……」
     女中らは脱衣だけでなく湯浴みの手伝いもしようとしたが、それは断った。誰もいなくなった浴室でひとり、マルゴットは厚く塗られた顔の白粉を濡れたタオルで拭いて落とす。不自然な化粧を落とした安堵感もあったが、やはりこの屋敷で素顔になるのは不安だ。
     手早く体を綺麗にし、バスタブから上がる。もし不意に誰かが入ってきて顔を見られたらと思うと落ち着かなかった。すると。
    「あら?」
     籠に入れておいた着替えのシュミューズがない。代わりに手触りのいい寝間着が入っている。広げてみるとそれは上質な薄絹でできていて、袖と襟のフリルには銀糸と色糸の精緻な刺繍まで入っていた。
    「誰かの忘れ物かしら。というか、私の着替えはどこに?」
     マルゴットはキョロキョロと辺りを見回した。それから少し考えて、もしやこれは自分が着るために用意された寝間着なのではと気がつく。そもそも夫人の浴室に誰かが寝間着を忘れるという状況はあり得ない。
    「着てしまっていいのかしら」
     あまりに立派なその寝間着に、マルゴットは袖を通すことを躊躇う。しかし自分が持ってきたシュミューズはどこにもないため、これを着ないわけにはいかなかった。
     髪を整え、再び白粉を塗って、マルゴットは浴室から出た。外で先ほどの女中が待機していたので、念のため「これって着てよかったのでしょうか?」と尋ねてみる。
    「もちろんです。そちらの寝間着は奥様のためにご用意されたものですから」
     四十絡みの女中は明るくそう答えてくれた。屋敷の者の視線に怯えていたマルゴットは、彼女の笑顔に内心驚き、それから密かに安堵する。
    (ええと……女中頭のロイス夫人だったかしら。優しそうな人でよかった)
     晩餐でのマルゴットの失態を見ていたはずなのに、彼女は蔑む様子もない。それどころかロイス夫人は目を細め、「とてもお似合いです」と褒めてくれた。さすがに照れくさくなり、マルゴットは俯いてしまう。
    (そんなこと初めて言われたわ。私にこんな綺麗な服が似合うはずないのに。一応はジークフリート様の妻だから気を遣ってくれているのかしら)
     褒められたことなど記憶にないマルゴットは、こんなときどんな気持ちになればいいのかわからない。嬉しいような気もするけど、喜んでしまっていいのだろうか。
     するとロイス夫人は「少々よろしいでしょうか」とマルゴットの手を引いて浴室に戻り、椅子に座らせた。何ごとだろうとマルゴットがハラハラしていると、彼女は化粧台から櫛と香油を取ってきて、なんと髪を梳きだしてくれた。
    「今宵は特別な夜でございますから、少々おめかしをいたしましょう」
     マルゴットのパサパサした髪は丁寧に梳かされたせいか、はたまた香油のせいか、たちまち滑らかな手触りになっただけでなく輝く艶を取り戻した。ロイス夫人はさらにそれをリボンで軽くまとめてくれる。なんということもない髪型なのに、マルゴットは鏡に映った自分がまるで普通の女性のように見えた。
    「綺麗……」
     まともな手入れどころか粗悪な石鹸で洗っていたマルゴットの髪は、貴族令嬢とは思えないほど傷んでいた。今日の輿入れも一応は整えてヘッドドレスを飾ってきたが、水分のない髪の毛は散らかってまとまらず、みっともない有様だった。
     たった一回の手入れでは芯まで回復したわけではないが、それでも幽霊か老婆にしか見えなかった燻んだ灰色の髪が今はプラチナ色に見える。しっとりまとまっていて毛先も散らかっていない。
     まるで自分の髪ではないみたいだと、マルゴットは目を輝かせる。するとそんな彼女の様子を見て微笑んでいたロイス夫人が、今度は濡れたタオルと白粉を持ってきた。
    「よろしかったらお化粧も整えさせていただいても?」
     ロイス夫人としては白粉だけ厚く塗りたくった不気味な化粧を直してあげたかったのだろう。けれどマルゴットは咄嗟に顔を手で覆って背けてしまう。
    「だ、駄目! さわらないでください!」
     親切だとはわかっているが、さすがにこの痣は見られたくなかった。いくらロイス夫人が善良な女性だとしても、こんな醜い痣を見れば不快になるだろう。優しく接してくれる彼女に幻滅されるのは怖い。
     ロイス夫人は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに「出過ぎた真似をして申し訳ございません」と謝ってくれた。マルゴットは却って申し訳ない気持ちになり、「こちらこそごめんなさい」と頭を下げた。それを見てロイス夫人は微かに顔を綻ばせる。
    「顔をお上げください。私は奥様にお仕えする立場なのですから、そのようなお言葉は不要ですよ。私が差し出がましい真似をしたら、どうぞ叱責してください」
    「叱責なんてそんな……」
     人の上に立ったことがないマルゴットはそんなことを言われても戸惑ってしまう。するとロイス夫人は「奥様はお優しいですね」と眉尻を下げて微笑んだ。

     ロイス夫人のおかげで少し和やかな気持ちになったものの、そのあとに連れてこられた部屋の前でマルゴットは固まって動けなくなってしまう。
    「こちらがご夫婦のご寝所でございます。それでは、よい夜を」
     案内してくれたロイス夫人が去ってしまっても、マルゴットはなかなか中に入ることができなかった。
     夫婦の寝室ということは、やはりジークフリートと床を共にしなくてはいけないということだ。わかっていたが、もしかしたら今夜は見逃してもらえるのではという淡い期待が捨てきれなかった。そして今、そんな期待が馬鹿げていたことを痛感する。
     目の前のオークでできた扉がやけに威圧的にマルゴットの瞳に映る。いつか読んだ小説の、地獄へ続く門みたいだ。
    しかしいつまでもここで立ち竦んでいるわけにもいかず、震える手でノックする。あまりにも弱いノックで聞こえないかもしれないと思ったが、すぐに「入りなさい」と返ってきてマルゴットはビクッと肩を跳ねさせた。
    「失礼します……」
     寝室は、やはり豪華だった。天蓋からモスリンとベルベットのカーテンが垂らされたベッドの四柱は金でできており、天蓋にもヘッドボードにも金の天使が飾られている。ベッドのサイドテーブルに載っているのは最新式のオイルランプだ。もちろん暖炉は立派な大理石だし、壁には色鮮やかなタピストリまで飾ってある。
     正餐室でも浴室でもその広さと豪華さに驚いたので、マルゴットは少々慣れてきた。ただ、自分がこの豪華な屋敷の住人だという実感は全然湧かないけれども。
     ジークフリートは窓辺に立っていた。マルゴットが部屋に入っていくと振り返ってこちらを見る。寝室はシャンデリアではなくランプと壁の燭台で灯りをともしているので薄暗く、整った彼の顔がやけに妖しく見えた。
    「そんなところにいないで、こちらへ来なさい」
     寝室に入ったものの中へ進めないでいると、ジークフリートにそう言われてしまった。マルゴットは一歩ずつ足を進めながら、心の中で以前読んだ恋愛小説を思い出す。
    (だ、男女の情交は……濃厚なキスをして、愛を囁き合って、それから男の人が女の人の服を脱がせて……む、無理! 無理!)
     マルゴットの恋愛に関する知識は小説から得たものしかない。けれどそこに綴られていた甘いロマンスは読む分には最高だったが、自分が経験するとなると話が違う。マルゴットは小説に出てきた可憐な少女でもなければ、相手は一途に愛を捧げてくれた恋人でもない。そんな彼女らとどうして同じことができようか。
    (無理、私にはできない! 私にはロマンスなんて必要ないもの、恋はするものじゃなく読むものだもの!)
     そう思い詰めて足を止めたときだった。
    「……やれやれ」
     ため息と共に呆れたような声が聞こえ、マルゴットは軽く腕を引かれてベッドの上に座らせられてしまった。
    「そんな調子では夜が明けてしまうぞ。なるべく優しくするから、あなたも協力してくれ」
    「あ、あのっ……! えっと……は、はい……」
     私には無理だと言おうとしたが、結局かぼそい返事しかできなかった。無理だ、嫌だと訴えたところで通用するわけがない。
    (……我慢するしかないわ。女性は体を開くだけだから、目を瞑って数を数えていればそのうち終わるって本に書いてあった。それくらいなら私にもきっとできるはず)
     恋愛小説ではなく悲劇の娼婦の物語にそんな一節があった。主人公が初めて客を取る場面だった気がする。
     みじめな娼婦のような気持ちになって、マルゴットは震えながらギュッと目を閉じた。一、二、三……と数えながら、いったい幾つまで数えたら終わるのだろうと疑問に思った。
     すると、てっきり服を脱がされるのかと思いきや大きな手が頬を包んだのがわかった。生まれたての小鳥でも包むかのように、優しい手つきだ。驚いて目を開きそうになった瞬間、唇に熱く柔らかいものが触れた。マルゴットの思考が一瞬停止し、それから心臓が狂ったように早鐘を打ちだす。
    (……こ、これって接吻……?)
     この場面で唇に触れるものが彼の唇以外とは考えにくい。目を閉じているので見えないが、間違いなく口づけだろう。そう考えたら途端に唇から伝わる熱や、微かな呼吸を感じ、ますます鼓動が速くなった。
     押しつけるだけだった口づけは一度離れ、再び重なった。今度はまるで木枠の凸凹が嵌まるように、角度を変えて唇を深く重ねられている。しかもジークフリートは舌でマルゴットの唇を舐め、ゆっくりと口の中に侵入してこようとしているではないか。
     艶めかしい舌の感触にマルゴットの全身が強張る。さらにギュッと硬く目を閉じたとき……急に彼の唇が離れた。
    「呼吸を止めるんじゃない。倒れてしまうぞ」
    「……え」
     言われて、マルゴットは自分がずっと息を止めていたことに気づいた。目を開き慌てて呼吸をすると、煩いほど脈打っていた鼓動が少し収まる。息の止めすぎだ、彼の言う通りあやうく倒れてしまうところだった。
     ようやく呼吸が落ち着いてきたマルゴットは、ハッと気づく。ジークフリートの顔がとても近くにあることに。
    間近にある彼の瞳は琥珀色で、ランプの灯りが映り込み宝石のように綺麗だ。長い睫毛がそこに影を落とし、妖艶さを添えている。
    (ジークフリート様は本当に美しいわ……)
     思わず見惚れてしまったあと、マルゴットは大変なことに思い至った。これだけ間近で彼の顔を見ているということは、自分も見られているということだ。
     慌てて離れようとしたが、頬に手が添えられたままだった。ジークフリートはマジマジとマルゴットの顔を覗き込んで言う。
    「髪を洗ったら印象が変わったな。プラチナブロンドだったのか、なかなか悪くない」
    「え……あ、あの……」
     こんなに近くで見つめられては前髪と白粉で隠した痣がバレてしまうかもしれない。けれど彼の手を振り払って逃げるのも躊躇われて、マルゴットは何度も瞬きしながら目を泳がせる。
    「瞳の色は紫か、昼間見た通りだな。……なら落ち着いた色のドレスのほうが似合いそうだ」
     彼の呟きを聞いて、マルゴットはそういえばまだ寝間着の礼を告げていなかったことを思い出した。頬を包む手を掴んで恐る恐る顔から離すと、ペコリと頭を下げる。
    「寝間着をどうもありがとうございました。こんな立派なものをいただいてしまって、すみません」
     突然礼を言いだしたマルゴットにジークフリートはキョトンとする。そしてややしてからフッと口もとを緩めた。
    「どういたしまして」
     初めて見た彼の笑顔は、とても優しいものだった。今日はジークフリートにとってもマルゴットにとっても散々な一日だったせいで、お互い笑みを零す余裕もなかった。しかし夫が初めて自分に笑顔を向けてくれたことで、マルゴットの体から緊張が抜ける。無意識に頬が緩んだ。
     それを見たジークフリートはさらに口角を上げると唇を重ね、手を掴まれたままマルゴットの肩を掴み返しシーツの上に押し倒した。
    「可愛いところがあるじゃないか」
     組み敷かれた体勢になって、マルゴットの胸がさっきよりさらに激しく脈打つ。しかも今、信じられない言葉を聞いた気がする。さすがに聞き違いだろうと考えたが、胸の鼓動は収まらなかった。……ところが。
    「白粉はもっと薄くていい。こんなに塗らないほうが、あなたの魅力を損ねない」
     そう言って何気なくジークフリートの手がマルゴットの前髪を捲った。その瞬間、あんなに脈打っていた心臓が止まりそうになり、気がつくと「駄目っ!」と叫んで手を打ち払ってしまっていた。
    「わ、私はとても醜いので……そのように顔を見ては駄目です」
     手もとの枕を掴み咄嗟に顔を隠してしまったマルゴットの姿に、ジークフリートは唖然としている。初夜の寝床で妻に手を打ち払われ顔を隠された夫が、いったいこの世のどこにいるというのだろうか。
    「顔を見ずに抱けと言うのか?」
     皮肉交じりの彼の言葉に、マルゴットは真剣な声で「はい」と答えた。いつかは痣を見られるかもしれないが、よりによって初夜に露呈するのは最悪だと思う。

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