-
試し読み
「そんなものか?」
「……陛下?」
驚いて陛下へ顔を向けると、そのお顔は怒っているように見えた。
「やはりお前にとって、私は銀波の『ついで』でしかないのだな」
「そんな……!」
「私は、お前が他の男達と踊っているのを見て、腹立たしく思うほどだったのに」
……え?
「陛下が、ですか?」
私と他の方のダンスを腹立たしく思うなんて。それではまるで……。
「自分でも驚いた。だが私とのダンスは断っておきながら、他の者と楽しげに踊っているお前を見ているうちに怒りが湧いた。私より他の者の方がいいのか。私ですら触れていないその手を他人に預けながら、満面の笑みを浮かべるのか、と」
「今……、手を握ってますわ」
指摘すると、手は離れてしまった。
言わなければよかった。もっと握っていて欲しかったのに。
「これはお前の意思を無視したことだ。お前が私に手を預けたわけではない」
「私は陛下に手を取られて嬉しかったです。お許しいただけるのでしたら、私から手を握りたいくらいです」
「それは『国王』にだろう?」
苦々しげな笑い。
「私の気持ちはそうではない。お前が家臣だから、私より他の者も優先させたことを怒ったのではない」
視線が外される。
まるで拗ねた子供のように。
この態度は、私が陛下と他の女性が踊っているのを見たくなかったという気持ちと同じように思える。まるで嫉妬しているように。
でもそれは畏れ多い考えだわ。
でも……。
私は戸惑いながらも、そっと陛下の手に自分の手を重ねた。
「私は、陛下を国王様として尊敬しております。お仕事をするお姿も、私を含めた他の者の意見に耳を傾け、我欲を通そうとはしないお姿も」
「やはり……」
「けれど、銀波を愛するお気持ちや、時折見せてくださる笑顔や、馬を駆るお姿が素敵だと思うのは、国王様かどうかは関係ないと思います」
不敬だ、と怒られないかしら。
お前は何を言い出しているのかと、不審がられないかしら。
でも、二人きりで話すチャンスはこれが最後なら、少しだけ自分の気持ちを見せてもいいのかもしれない。
呆れられなくても、もうお会いする機会はなくなるのだし。
後悔するくらいならば、やりたいことをやった方がいい。行儀よくして後悔するのは、ダンスの時だけでもうたくさん。
「私は、陛下が国王様でも、そうでなくても、素晴らしい方だと思っています」
陛下の視線が私に戻る。
その瞳に、訝しげな色はなかった。
間違っていなければ、そこにあるのは『驚き』だ。
「私……、陛下を好きですわ」
『好き』ならば、怒られても何とかごまかせる。好意であって愛情ではない、とも。
けれど陛下はそのあいまいさを許してくださらなかった。
「どんな風に?」
はっきりと問われると返事に困ってしまう。
これ以上は軽々に口にしていい言葉ではない。
「マイア」
重ねた手が、握り返される。
「……私からは申し上げられません。そういう類いの気持ちなのです、としか」
どうかこれで察してください。
「では、その気持ちは私がお前にキスしても許されるものか?」
思いもよらない言葉に、私は頰を染めた。
キスだなんて。
家臣にするものではないわ。
ただの好意だけで求められるものでもないわ。
でもまだ、それを信じることができない。
「光栄なことだと思います……」
「光栄?」
お顔が近い。
眼差しがまっすぐ過ぎて、受け止めることができない。
握り返された手が熱い。
光栄では許してくださらないの?
これ以上の言葉を口にしたら、もう引き返せなくなるのに。
それでも、噓だけはつけなかった。
つきたくなかった。
「……嬉しい、と思います」
恋をしていると、好意ではなく愛情だと思うと言えない代わりに、そう言った。
「他のどなたにされるよりも、嬉しいと思います」
手が、一段と強く握られる。
私も、そっと握り返す。
わかってくださった?
「マイア」
お顔は更に近づき、耳元で甘く名前が呼ばれる。
唇が頰に触れる。
「私に望まれることを、嬉しいと言ってくれるか?」
「……はい」
「本当に?」
「私は、陛下に噓はつきません。絶対に」
「今までのお前を見ていれば、その言葉は信じるに足りるな。だがもっとちゃんとした言葉でお前の心を知りたい。だがそのためには私が先に言わねばならぬようだな」
唇が、一瞬だけ私の唇に重なる。
「お前が好きだ、マイア。銀波を恐れぬ娘というだけではない。その聡明さも、明るさも、物怖じせぬところも何もかも。もちろん美しさも」
もう一度、さっきより長く唇が重なる。
「愛している。他の者に渡せぬほど、私のものにしたいと思うほど。……私の気持ちを知って、お前はどう応えてくれる? もう『光栄』だの『嬉しい』だのという言葉でごまかさず、私への『気持ち』を教えて欲しい」
握っていた手が離れ、硬い掌が頰を捕らえる。
陛下は私の髪を梳くように耳元からその指先を差し込んだ。
「私は……。よく、わかりません……」
陛下の指先がピクリと震える。
でも正直に言わないと。噓はつかないと宣言したのだから。
「私は、恋をしたことがないのです。誰かに恋焦がれたことはないのです。けれど、陛下が他の方と踊っているのを見たくはないと思いました。こうして二人きりで会いたいと思いました。陛下とお会いするのはとても楽しくて……」
また、髪に差し込まれた指が震える。
今度は震えるだけでなく、私の頭を引き寄せる。
「それで?」
「あ……、あの……。近いですわ」
「それで今、どんな気持ちなのだ? 言え」
離してくれる気はないらしく、陛下と私との距離がなくなってゆく。
「いつもはもっとハキハキとものを言うだろう。私を焦らすな」
「焦らしてなどおりません。私はただちゃんとお答えしたいだけなのです。陛下のお望みの答えをさしあげることは簡単です。たった一言で済むのですもの。けれどそれは違うと思うのです。陛下は国王様として私に答えを望んでいらっしゃるわけではないのでしょう? でしたら私は、拙くても私の言葉で今の自分の気持ちをお伝えしなければ。『愛しています』と軽々にお答えするのではなく、今、どんな風に陛下を想っているのか、お伝えした方がよいかと思って……」
「……お前は」
「私、間違っておりましたでしょうか?」
「いいや。そこまで考えていたのかと思うと、嬉しいばかりだ。それほど真剣に私を想ってくれているのだな?」
私の気持ちなど、言葉にしなくてももうきっと知られている。
それでも、私はちゃんと伝えたいのだ。
「恋を知らぬ私に、『愛』という言葉は重くて、まだそれを口にしていいものかどうかわかりません。けれど、許されるならこれからもずっと陛下のお側においていただきたい。私を……特別に扱っていただきたいと思っております」
「私のものになりたいと願うか?」
「願います」
「その言葉で十分だ」
頭にあった手が、私を引き寄せ再び口づけが交わされる。
今度のキスは長かった。
ただ唇が合わさるだけでなく、熱い舌が私の唇をこじ開ける。
これは、恋人のキスだわ。
したことはないけれど知っている。
深く求め合うキスだと。
私は唇を開き、彼の舌を受け入れた。
侵入を許された舌は、私の歯列を越え、深く入り込んできた。
彼の一部が私の中にある。
その感覚に鳥肌が立つ。
今、私の口の中にあるのは、明らかに私ではないもの。自分の意思とは関係なく動くもの。
なのに、深い口づけを続けるうちに熱いと感じていた舌は私の口の中と同じ温度になり、私の一部であるかのように思えてくる。
髪に差し込まれていた手は、狂おしいように髪をかき回し、頭を支えるようにしてゆっくりと私を長椅子の上へ倒した。
大きな長椅子は、銀波が乗っても十分な広さがあり、ちょっとした寝台ほどだった。
そこに横たえられると、舌が抜かれ、唇が離れる。
身体は、まだ私の上にあった。
唇は遠ざかるために離れたのではなく、移動するため離れたのだ。
「……あ」
移動した唇は、頰から耳に、耳から首へと動いてゆく。
鎖骨をたどり、大きく開いたドレスの胸元、襟のギリギリまでゆき、膨らみ始める柔らかな肉の上を彷徨った。
求められている。
それは喜びだった。
好きだと、愛していると言われ、求められている。
女性として何という幸福なことか。
私は何の迷いもなく、彼の望むままにさせた。
それは相手が国王陛下だからではなく、私の愛する人だからだ。
愛する……。
愛とはこういうことなのかもしれない。
相手が求めるものを全て差し出したい。求められたい、応えたい。自分からも求めたいと思う気持ちを、『愛』と呼ぶのかもしれない。
陛下の長い銀の髪が、私の上に零れた。
くすぐったいような感触が肌を滑る。
ドレスの肩が落とされ、服で締めつけられていた胸が緩まる。
するとキスはその揺るんだ襟元を銜えて引き下ろした。
「あ……っ」
胸が……、露になる。人に触れさせたことのない、ドレスの下に隠されていた小さな突起に舌が触れる。
その瞬間、チリチリとした痺れが全身に広がった。
心地よくもあり、焦れったくもあり。追い立てられるような感覚も与える。
何とも説明できない感覚。
「や……」
ドレスのスカートに手がかかる。
捲られて、脚に手が触れる。
またゾクリとして、耳の後ろがざわざわとした。
「あ……」
臑から這い上がり、膝を越えて太股へ。
手はそこで止まり、陛下は私と目を合わせた。
「どんな問題が起きるかわかっていても、銀波を城へ連れて来てしまった。受け入れられぬ今でも、手元から離せない。そのことでもわかるだろう。私は独占欲が強い。これが最後のチャンスだ。今なら、お前に逃げ出すことを許そう。だが私の愛を受け入れたら、二度と城から出られぬかもしれないぞ。それでも、私を受け入れるか?」
その言葉が、陛下がこれから何をしようとしているかを物語っていた。
それでも、私の返事は一つだった。
「はい」
喜びに満ちた笑みを浮かべ、陛下が私に嚙みつくようなキスをする。
脚に置かれた手が、再び動き出す。
その途端、強い力が私と陛下の間に突入してきた。 -
関連作品